モバイルについて考える 2000年(平成12年)5月17日

「モバイル」という言葉の説明はもういるまい。これほどまで日本で広まるとは正直言って驚きである。コギャルのみならず,機械音痴の妹までが「私もモバイルしてみようかな」と言うのだから。数年前まではオタクとまで言われたモバイラーの姿は,今は当たり前に見られる光景になってしまった(私もそれに近いものがあったが)。私の個人的な見解では,携帯電話・PHSの普及が「モバイル」をここまで広めたと考えている。

それはさておき,では,本当にそれだけの人が「モバイル」することを必要としているのだろうか?かくいう私も時間さえ見つけてパソコンを拡げたうちの一人だ。ノートパソコンも何台も取り替えてきた。出張にもパソコンを携帯していった。外国へも持って出かけ,メールで日本に原稿を送ったこともあった。しかし,最近,私は「モバイル」することに否定的になってきた。

忙しく動き回って,職場の机の前に座る時間さえない,という人たちがいるのは承知している。でも,そのような人たちは本当に電車や車の中でパソコンに向かう必要があるのだろうか。時間の節約?なら,パソコンを使わない方がよっぽど時間の節約になるに違いない。そのような仕事をせずに済むのだから。仕事のメールも読まなくてすむし(笑)。遊び?人の迷惑になるような遊びはやめてね。趣味?ここまで否定するつもりはないが。でも,それで他人の気を引きたいと思っている人はちょっと変。

よくよく考えてみると,ほとんどの人が電車や喫茶店の中でモバイルする必要はないのでは?。どうしても仕事に追われて,という人は,仕事のやりすぎか,仕事の処理が遅いだけ(一時の自分もそうだった)。出張の時くらい,電子メールやインターネットから離れて,その通信費でゆっくりとおいしいものを食べながら,お酒でも飲んでいたほうがましなのかも。

ところで,先日読んだ『電車の中でのモバイル通信について考える』という記事で,携帯電話のことについて触れているが,その携帯電話が電車に乗っている人には迷惑になっているのは,アメリカも日本も変わりはない(ただし,フィラデルフィアの私の乗る電車でパソコンを拡げている人を一度も見かけたことはない)。それに対する反論もあるようだが,どちらの意見がより説得力があるのかという判断は,お任せします。(後者のサイトはちょっと変だけど,たまに面白いことが書かれている。たまに・・・)。