診察記録
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2002年3月 

『情報整理術 66の方法』(成美文庫) 西村 晃

情報が生きるか死ぬかは「整理」で決まる!(これがなかなかできないのですよ…。実行力の問題か?)

そういや,以前にもこの本は読んでました。2度目ということですね。

『大学病院の不健康な医者たち』(新潮 OH! 文庫) 米山公啓

かつて大学医学部の助教授であった著者が,大学病院の中の風景を綴ったエッセイ。大学病院に在籍したことのある医師が読めば,それなりにおもしろいかもしれません。

本人の単なる愚痴を書いた本とも言えますが…。

平成14年3月31日(日) 明日から新年度。そして,医局長室へ。

いよいよ,明日から新年度。人事異動の連中が荷物を持ち出したり,運び込んだりして慌ただしい1日でした。私は日直をしながらの荷物移動だったので,すべてを移動できていません。荷物は「医局長室」へ(助教授と兼用ですが,部屋があるのです)。早速,模様替えです(その他,いろいろと変えるつもり)。しかし,息苦しいな,この部屋。部屋の換気が不十分なのと,明日からのことを考えると精神的に息苦しさが…。

平成14年3月26日(火) いざ,名古屋へ

ようやく,たった今,学会用ポスターが仕上がりました(というか,印刷中)。恐ろしいくらいの用事が沸いてきて,今になってしまいました。日付変更線を大きく越えているため,非常に眠いです。午前の便で飛び立ちます。

平成14年3月25日(月) MacOS X への移行ができず

MacOS X へ移行しようと,ずっと以前より対応アプリケーションを揃え始めているが,そのセットアップの時間がなく移行できずにいる。私の PowerBook G4 にはすでにそのスペースが確保されていて,OS 9 用のスペースはわずか5GB しかないので,そろそろ足りなくなりつつあるのだ。セットアップには1日を費やすと見積もっているが,さて,いつその時間ができるか? 今週から3週連続の学会発表が始まるので,当分は無理。そのセットアップより,昨日息子が誕生プレゼントでもらったプラモデルを作ってあげるのが先かも…。

平成14年3月17日(日) 退官記念パーティ

昨晩は,ある教授の退官記念パーティに招待され,参加いたしました。通常,教授の退官記念パーティというのは盛大に行われるのですが,昨晩の会は,その教授の意向もあり,教授の家族を含め30名程という,小規模の会となりました。

しかし,小規模ではありましたが,非常にアットホーム的な,参加者一人一人の思いが通い合った会でもありました。そういう会もまたいいもんだな,と思った次第です。

日本の大学の研究者には,必ず師匠がいて,その兄弟弟子がいて,そして自分の弟子がいるものです。最近の日本はアメリカの追随と言わんばかりに,次第に業績中心の教授選考になってきました。それは国際競争を勝ち抜くには必要なことだと思います。業績のない人を教授にするのはやはりおかしいのです。しかしながら,これまでの日本に存在した,よい意味での「教室の伝統や人脈」というものまでを捨て去る方向にまで動いているような気もします。そのことが果たして本当にいいことなのだろうか,とふと考えてしまいました。

ラオス人と3次会まで行って,今日は二日酔いでした。

平成14年3月15日(金) 誤解なきよう,訂正

2〜3名の方から,昨日の記述にある人物とは自分のことか?などというメールをいただきました。よからぬ反響を起こしているので,ここで誤解のないよう,釈明させていただきます。

決して,あなた方のことではありませんので,御安心下さい。本当です(スズキムネオ風に涙を流しながら)。このサイトなど読むことのないような人,そういう人がいたら,という話です。(?)

平成14年3月14日(木) 他人を疲れさせる人

他人を疲れさせる人がいる。そういう人には常識的な話が通じない(何を持って「常識的」というか,という議論は省く)。一方的に解釈した観点のみで(向こうの主張に立脚した観点)話をしてきて,しかしながら,こちらの意見には全く耳を貸さないような人。まあ,例を挙げればきりがない。

ともかく,そういう人の発言にまともに応対した後にはむなしさが残る。疲れが残る。後悔する。そして,それをわかっていながら,相手をしてしまう自分が悲しい。

平成14年3月9日(土) ミイラ取りがミイラに

救急室での出来事。薬疹の患者が来たので,強ミノCを打つことに。その時の救急室は心不全や発作性上室頻拍の患者が横たわっていて,看護婦が忙しかったので,私がアンプルを開けることにした。だが,それがいけなかった…。素手でアンプルを開けたその時,アンプルの先が砕け散ったかと思いきや,右手に痛みが走った!アンプルの開封部で右手第1指を見事に切り裂いたのだった!長さ約1.5cm,深さ約5mmの裂傷。控えている外科担当の救急当直医を呼ぶ羽目に。

実は3日前,研修医が同じようなことをして軽い怪我を負ったが,その時に私は研修医に「そんなことをしちゃいか〜〜ん!」と厳しく指導をした。それなのに…。

救急の当直医が救急の患者になってしまうという,うちの救急室始まって以来初の珍事!(救急室の看護婦の弁)。3針のナイロン糸を縫い込まれ,かつ包帯で太ってしまった右手の親指を眺めながら(局所麻酔が切れかかり,じわじわと痛みが走る),処置用の手袋が必要になるような患者が来ないことをじっと願う私であった。

それからのこと。

あとわずかで救急当直が終わる。処置用手袋を必要とする患者が結局来た。頭部外傷で出血タラタラ。まあ,何とか手袋に親指は入った。

救急室にいるといろんなドラマがあるが(いいことはほとんどない),何度やってもこの当直ほどイヤなものはない。そろそろ,私も救急当直のない病院へ…?

平成14年3月8日(金) 家族内ウイルス感染

今週日曜日,長男が発熱,下痢,悪心・嘔吐,筋肉痛が出現,月曜日まで寝込んだ。火曜日,妻に同様の症状が出現,木曜日にようやく軽快。私も火曜日から腰部から下肢にかけての筋肉痛があったが,発熱や消化器症状はなかった。今日,金曜日,長女と次女に鼻汁と下痢が出現。見事なまでの家族内伝播!

今日は救急室の当直です。頑張ってきます。

平成14年3月2日(土) 院内回診?

 (単なる愚痴をこぼすだけだから,すっとばしても構いません)
 早,3月である。昨年の今頃は,家庭内が帰国の準備で大わらわにもかかわらず,どうしてもやらねばならぬこと山積していたため,ラボに入り浸っていたことを思い出す(昨年の診察記録を参照)。内容こそ異なれ,今年も似たような状況にあるような気がする。ラボが学会出張に代わっただけだ。
 そういう状況になるときに限って,あちこちの病棟から呼び出しがかかるのである。あの患者の診察を,この患者の治療方針の相談を,と私の院内専用PHSはコールの嵐。今週の木曜日は本当にすごかった。
 朝早く,前日作成した発表用スライドを現像用フィルムに取り込みを終えて,いざ外来へと気合いを入れ,PHSの電源を入れると,1分もしないうちに,O科病棟から呼び出し。外来が終わったら行くと答えたら,大至急来て診てほしいとのこと(確かに,至急でした)。そのために外来を始めるのが遅れ,終わったのが午後2時過ぎ。急ぎ昼食を終え,ポリクリ学生の実習のまとめを行い(その間も3度のコールあり),終わったのが4時半。それから呼び出しのあった各科を回ることに。朝呼ばれたO科病棟,ICU,S科病棟,I科病棟,D科病棟を訪ねて回り,説明をして,自分の病棟に戻ったときには6時半を過ぎていた。これじゃ,院内回診だ。こんなことってあり?
 と,そのとき再びPHSが。完全に忘れていた,4時半に臨床試験の件で製薬会社の方とアポイントメントが入っていたことを。急ぎ医局に戻り,大変に恐縮しながら(なぜか向こうも恐縮しながら)の話し合いを終え,7時半前に12時間ぶりに自分の机に戻った。疲労困憊だ。
 仕事をする気にもならず,しばらくネットサーフィンをした後,今日はもう帰ろう,と席を立ったとき,当直医が私の部屋のドアを開けた。「救急室に肺炎の患者が来ているみたいだけど…。」私が必要とは思えなかったが,ただ入院となると,病棟医長である私が主治医の決定やベッドの調整を行われねばならない。しばらくして,当直医からコール。「両側の大葉性肺炎だよ,重症の。」おいおい,俺は帰れないのか?
 入院後,主治医とともにその患者の処置や治療に何やかんやと付き合って(だって,肺炎は私の専門分野だし…),いったん落ち着いたときには11時を回っていた。後は後輩に任せ,医局へ。そういや,今朝,作ったスライドを確認してないや。でも,疲れていて,そんなことはどうでもよくなって,12時前に医局を出て,病院から離れた。<そういや,学生と飲みに行った奴らもいたなあ>
 金曜日から岐阜に出かけていったが,できあがったスライドを確認しなかったのがいけなかった。3枚のレイアウトが乱れているのだ。気づいたのが今日,会場での試写の時だから,どうしようもない。人間,やはり余裕を持つことが大切なのだ。そう思って,発表の後抄録(原著形式)を一気に書き上げた。
 関係ないけど,昨晩飲んだ日本酒は旨かった。特に,山桃桜(ゆすら)(茨城県)は最高だ。