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医師としての患者への説明

臨床医の重要な仕事のひとつに,患者への説明がある。「重要な仕事」とわざわざ断ったのはわけがあって,それがこれから述べたいことである。近年「インフォームドコンセント」という概念が登場しマスコミをはじめとする巷をにぎわせているが,それに対する雑感を含め,患者への説明に対する個人的見解を徒然なるままに述べてみる。

医師になってから現在にいたるまで,患者へ説明するのは医師としての「重要な仕事である」と考えている。病気や治療に関する説明は当然のこと,検査や薬の内容および検査結果,今後の予定や見込み,予測し得る薬の副作用,そして生活指導に至るまで(気管支喘息や糖尿病では重要なファクター),多々ある。それらを入院患者であろうが外来患者であろうが,逐一説明すべきだと考えているし,そうしているつもりである(つもりというのは曖昧な表現だが,独断する気はないし,それを判断するのは患者側であると考えるから)。私の場合,採血項目に関しても一応説明することにしている。

私がそこまで(個人的には当たり前の範囲と思うのだが)説明するのは,それを医師の「重要な仕事」の一つと捉え,自発的に行っているのである。受動的な医師の義務と考えているからでもなく(義務で医師としての仕事が務まるだろうか?),今流行のインフォームドコンセント云々というのでもない(これまた「説明義務」と訳されている)。ましてや,医療裁判にならないようにやっているわけでもない(いやはや,裁判に怯えながら仕事をする時代になってしまったのか?)。

「昔はよかった」という声が聞こえてくる。医師は天上人で,患者は医師の言うことを何でもハイハイと聞いていたから,という意味だ。でも,本当にそうだったのだろうか?実は,その時代であったとしても,患者は説明を求めていたのではないのだろうか。

私が思うに,患者への説明というのは単なる「説明」ではない。患者にとっては,その説明の時間こそが,自分の担当医師が何を考え,自分に対して何をどのように施すのかを知る,数少ない絶好の機会なのである。それは医師の側にとっても,患者(やその家族)の心をつかむ上で,なくてはならない重要な時間なのだ。

医師の側からすれば,入院患者ならまだしも,外来患者にこんなにたくさんの説明をできるものか,ということになる。それに対しては,やればできる!と答えておく。そう考える人は,入院患者にも十分な説明ができていないのではないか。

確かに医師は多忙を極める。診療,処置,検査,勉強,学会発表,論文作成,そして雑務…。(あと看護婦の愚痴の聞き役とかもある)。できるだけ早く外来や病棟の仕事を終わらせて,その他のことをやりたいのだ。でも,雑談する時間はある,お茶を飲む時間もある,ネットサーフィンする時間もある。その時間を5〜10分間だけ患者への説明に割くだけなのだ。毎日毎時間,全患者に対して同時に説明をするわけではないし,そんなことは不可能だと私も思う。毎日3名の患者にそれぞれ5分間説明したとしても所要時間は15分だ。長くとも30分。それくらいの時間はどうにか取れように。

ここで誤解のないように言っておくが,私のいう「説明」というのは,医師の側からの一方的な説明のことを意味しているのではない。こちらの考えを伝え,患者の意向を聴き,質問に答え,そして「納得」していただくのである。説得するのではない。腹(ハラ)で納得してもらうのだ。(そのためには,専門用語を乱発するのではなく,素人にもわかりやすい言葉で話をしなければならないのだが…これについては,別の機会に述べてみたい)。それこそが真のインフォームドコンセントだと思う。アカウンタビリティ(説明義務)だの同意文書だの,という言葉や物が一人歩きしている現状に私の憂いがある。ただ形式を整えればいいというものではない。

医師も患者も人間である。人間と人間のぶつかり合い(きれいな言葉でいえば,触れ合い,か)があってこそ,医師−患者関係が出来上がるのだと思う。医師が天上人であった時代はすでに過ぎ去った(個人的には,どんな時代であっても医師が天上人でありうるはずがない,と思っている)。医療の一専門家として(医師は「一専門家」に過ぎない),一人の素人人間(患者)に対してどのように接するか,これからの乱世の時代における,医師にとっての一つの課題である。

【独り言】
臨床試験(治験)の同意も例外ではない。きちんと話をすれば,臨床試験への同意はもらえる。その代わり,説明への時間を多く要する。医師も大切な時間を割かれるが,患者も同じように時間を割かれるのである。その中で,きちんと話をして,納得してもらえれば,同意はもらえる。現在使用されている,何から何まで文章を羅列したあまりにも形式ばった米国式の治験の同意文書には,本当に辟易させられる。ただ,これまでの臨床試験に関する医師の説明および製薬会社の説明書や同意書があまりにもお粗末だったことは否めないが…。

(平成3年8月3日)